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「ゆとりですがなにか」から感じること

毎週日曜日 22:30から日テレで放送されているドラマ「ゆとりですがなにか」が熱い。

 

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私は1987年生まれであり、ちょうど「ゆとりですがなにか」の主人公たちと同じくゆとり世代1期生である。

 

大学のゼミ・研究室では「学力が足りないゆとり達」といわれ、
職場では「おい、そこのゆとり」と呼ばれたこともあるし、
仕事でミスすると「これだからゆとりは。」なんてことも言われた。

 

ゆとりはゆとりでも、ゆとり世代1期生は少し話が違う。

 

 

ゆとり教育が試行されたのは高校1年生の頃からであり、
小学校・中学校の頃は週休2日ではなく、週休1.5日だった。

円周率も3ではなく、3.14もしくはπとして教えられた。
数学の定期考査では「円周率は3よりも大きいことを証明せよ」という東大理系入試の過去問も出題された。

大学受験ではセンター試験に初めてリスニングが導入され、実験的な世代として取り扱われた。

 

教育自体は旧課程同様(もしくはそれ以上に厳しくされた)にも関わらず、
教育委員会からはモルモット扱いされ、
社会からは甘えた世代として蔑まれた。

 

そんな我々もいま29歳となり、会社では部下がついている年齢になった。

部下はゆとり世代1期生よりも、遥かに「ゆとり」であり、どことなく幼さを感じる。
ハラスメントを許さない時代ということも追い風となっており、彼らの「ゆとり」の底が見えない。

 

ドラマ「ゆとりですがなにか」も同様にそんなゆとり1期生と真ゆとり人とのやり取りに焦点を当てている。

 

ドラマがどのような結末になるのかは不明だが、
私はゆとり1期生はどの世代よりも強いと信じている。

 

旧過程世代からの蔑みをかわし、真ゆとり世代へのイラつきを抑え、
圧倒的なストレス耐性と中間管理職スキルを身につけたビジネスマンなのではないか。

 

ゆとり教育は、予想もしなかった形で、強い人間を育てることになったと言われる日が来ることを私は望んでいる。

 

きりゆ (@kiriyu0905) | Twitter